神様の上の神様

イランで出会った一人の青年のことを、最近思い出している。

2016年夏。イラン中部の街、ヤズドの広場。
15世紀に造られたこの広場のベンチで、彼は僕の目をまっすぐに見つめて、英語でこう問いかけてきた。

「世界から戦争をなくすには、どうすればいいと思う?」

そのとき僕は、うーんと唸るだけで、答えることができなかった。

2020年早々、嫌なニュースばかりだ。
そしてその先陣を切ったと言えるのが、米国とイランをめぐる話だろう。

僕は2016年、大学三年生の夏に、二週間ほどイランを旅行している。

自分が訪れて、沢山の人々と出会った場所が、ナショナリズムの渦に巻き込まれていく...その様子をニュースで見聞きするのは、どうも落ち着かないものだった。

イランに行く前、そして行ったあとも、周囲からは「怖くないの?」とか「治安は大丈夫?」と、数え切れないほど聞かれた。
でも実際のイランは、そんなイメージとはかけ離れた場所だ。
イランの人達は、僕が今まで訪れた国の中で、一番おもてなしの心に満ちていて、旅行者に興味深々な人たちだと思う。(それがときに、煩わしくもあったのだけど...)

あるいはそれは、ただの観光客の、一面的でオリエンタリズム的な見方に過ぎないのかもしれない。いや、実際そうなのだろう。
それでも、僕にとってのイランのイメージの少なくない部分が、その旅行の経験によって形づくられたことは事実だし、僕が昨今のニュースを聞いて思い浮かべるのも、そういうイランの姿だ。

たとえば、シーラーズという街のゲストハウスのオーナー。
予約無しで突然「今夜部屋ある?」と押しかけてきた僕に、「ごめんね今夜は満席なんだ。でも折角来てくれたんだし、ゆっくりしていきなよ」。宿泊客でもない僕に、ブドウとお菓子とお茶をタダで振る舞ってくれた。

たとえば、シーラーズからテヘランへ向かう寝台列車で、同じコンパートメントになったおばちゃん。
家から持ってきたであろう手料理の弁当の数々を、これでもかというほどお裾分けしてくれた。僕は食堂車での食事を楽しみにしていたのだけど、幸か不幸か、コンパートメントの中で食事が済んでしまった。

そして、日本とイランがビザフリーだった時代に日本に住んでいたという人にも、複数会った。
イスファハーンの広場で話しかけてきたおじいさんは、「東京でペルシャ絨毯を売っていたんだよ。今じゃ、到底日本になんて行けないけどね。」と、目を細めて懐かしそうに語ってくれた。

そんなエピソードを綴り始めたら、キリがない。
イランにいた2週間半は、それほど人々との小さな出会いに溢れていた。

いまニュースで、イランはあくまで国家として、政治的なコンテクストでばかり語られる。
でも僕が思い浮かべるのは、そういった一人一人のとの、刹那でささやかな思い出だ。

もちろん国家としてのイランと、そこで暮らす個人は、完全に切り離せる訳ではない。

イランの人たちは、国内政治について、中東情勢について、アメリカについて、各々が意見を強く持っているように感じた。
それにはやはり、微妙な国際関係にある国で生まれ育ったという背景も、少なからず関係しているだろう。

そして興味深かったのは、(僕が話した人たちが偶然そうだっただけかもしれないけれど、)皆が皆、違う意見を持っているということだ。
アメリカはこれ以上、利権のために中東を荒らさないでほしい」「イランに限らず、中東の政治指導者は腐敗している」といった、日本でもメディアで聞くような意見から、「イラン政府はどうしようもないから、いっそアメリカに滅ぼしてもらいたい」という超過激な意見まで、本当に幅広い主張を聞いた。

そして、昨今のニュースを見る中でふと思い出したのが、ヤズドという街で会った一人の青年の、「神様の上の神様」にまつわる主張だ。

彼は、地元の大学で法律を学んでいる19歳で、名をフサインといった。
夜の街の広場で、ベンチに座ってぼーっとしていた僕に、向こうから声を掛けてきた。
彼は生まれてからずっとヤズドで暮らしているというが、非常に流ちょうな英語を話した。イランでは英語の通じない場面が多かったが、大学に行くような高学歴の人は、けっこう英語が得意なのかもしれない。

彼は、「君は日本で何をしてるの?」とか、「イランはどう?」とか、観光客への定番の質問を一通り投げかけた後で、やはり政治の話を持ち出した。
——国際的な経済制裁で、イランの人はみんな、多くの不便と困難を強いられている。政府同士の対立で、なんで一般人がこんな思いをしなくてはいけないのか。この現状はおかしい——。
幸いにも、僕には「政治対立のせいで不便な生活を強いられた」経験が無い。そんな自分に、彼の怒り交じりの主張に同調する権利があるのか分からず、僕はただ、「そうだよね」と頷くことしかできなかった。

少しの沈黙。
すると彼は突然、僕の目をまっすぐ見据えた。そして問いかけてきた。
「世界から戦争をなくすには、どうすればいいと思う?」と。

突然の問いに、僕はグズグズと唸り、口ごもることしかできなかった。
すると、そんな僕を見かねたのか、彼はおもむろに自分の考えを述べ始めた。

「…僕は、神の上に神をつくれば、世界は平和になると思う。」

...神の上の神?と、僕は聞き返す。

イスラム教の神、キリスト教の神、仏教の神、ゾロアスター教の神。そういうのがバラバラに、自分が正しいと主張しているからいけないんだ。だから、そういう神の上に、宗教に関係なく信じられるような、絶対的な神が必要なんだ。そうすれば、人は争わなくなると思う。」

いままで聞いたこともない主張に、僕はまた、ただ唸るしか出来なかった。

フサインは、僕の顔を覗き込む。
「どう思う?」

「えっと....」
僕は答えに窮する中、何とか言葉を繋ごうとした。
「えっと、それって、すごく難しい気がする、かな。」
そして続ける。
「みんな、自分が信じている神を絶対的な神にしたいはずだ。だから、何を絶対的な神にするかを巡って、争いが起きるんじゃないかな。」

言ってすぐ思った。我ながら、貧相な批判だ。
自分は何も答えを持っていないのに、彼の熱く壮大な考え対して、しょうもない冷めた目線で、「難しいと思う」なんて水を刺してしまった。僕は、自分がひどく情けなくなった。

でも幸い、当のフサインは、特に気に留めた様子もなかった。
そして僕らは多分、広場のベンチに座ったまま、その後も色々な話をした。

でも、その後どんな話をしたか、思い出せない。
いまも記憶に残っているのは、「神様の上の神様」を巡る、この僅か数往復の会話だけだ。
たぶんそれだけ、このイラン人青年の前で感じた、信念のない自分の情けなさが、身に沁みたのだと思う。


それから3年半が経った。2020年冬。
一時は、イランが平和から最も遠い状況になってしまうかもしれない、という予測さえ飛び交った。
政府同士でナショナリズムの応報が続く。そして一般の人々はまた、その大きな動きの渦に飲み込まれていく。

そんな中で、僕はフサインのことを思い出し、久しぶりに「神様の上の神様」について考えている。

そして、ふと思う。今の世の中に「神様の上の神様」があるのだとしたら、その一つは国家なんじゃないかと。

「国家」という想像は、宗教を統べ、言語を統べ、政治体制を統べる。
そして、あらゆる要素を包含したそれは、世界中で多くの人々の拠り所になっている。(もちろん、「すべて」の人々でないことに気を付けなくてはいけないけど。)
国家と特定の宗教が結びついている事例は少なくないけれど、それでも多くの場合、国家は宗教を超えて、人々のアイデンティティの拠り所だ。

でも残念ながら国家には、フサインが言った「絶対的な神」のような普遍性はない。むしろそれは、時に争いを生んでいる。
皆がそれぞれの国家を信じる。そして、違う国家を信じる者の間で、軋轢が生まれる。
皮肉なことに、いま起きているアメリカとイランの対立も、その一つだ。

けっきょく国家は、ある意味で宗教の上に立つものになったけれど、人間共通の「唯一絶対的な神」では、とてもじゃないけどない。


じゃあ、どうすればいい?
僕は、2020年になった今も、確信できる答えを持てずにいる。

というか僕はいま、こうして考えを巡らせた結果、けっきょく三年半前に戻ってしまった。
世界が平和になるための方法が分からないのに、また「絶対的な神」を否定しているではないか。

こんな僕は、フサインと話した時から何も変わっていない。そしてイランとアメリカの関係も、当分良い方向に向かう兆しはない。
この3年半は、そうやって流れてしまった。

いまフサインは、イランの現状を見ながら、何を考えて、何を信じているのだろうか。